『マイホーム山谷』を通して考える、山谷のホスピスケアと福祉の課題とは?『マイホーム山谷』が描く、山谷の地域ケアシステムの光と影
東京・山谷。貧困と高齢化が進むこの街で、在宅ホスピスケア施設「きぼうのいえ」を運営する山本夫妻。余命僅かな人々に寄り添い、最期の時まで“家族”のような温かさを提供する。しかし、その理想は、生活保護、赤字、そして妻の失踪という現実によって揺らぐ。第28回小学館ノンフィクション大賞受賞作『マイホーム山谷』は、介護と福祉の光と影、そして山谷の独自のケアシステムの現状を鮮烈に描き出す、魂を揺さぶるノンフィクション。
『マイホーム山谷』の受賞と山谷のケアシステム
「マイホーム山谷」は何が評価され、受賞に至ったの?
山谷の地域ケアシステム
末并俊司氏の受賞作『マイホーム山谷』を通して、山谷の地域ケアシステムの複雑さを紐解きます。

✅ 第28回小学館ノンフィクション大賞は、末並俊司氏の『マイホーム山谷』が受賞しました。この作品は、東京山谷にある民間ホスピス「きぼうのいえ」の設立者である山本雅基氏とその妻・美恵さんの物語を軸に、山谷における地域ケアシステムの実態を描いています。
✅ 山本夫妻は、金銭的な利益を度外視し、既存の医療や介護システムでは救えない人々に寄り添うケアを実践していましたが、2010年に美恵さんが失踪。山本氏はその後、山谷全体を「きぼうのいえ」にしようと奔走するも失敗し、理事長を解任されました。
✅ 末並氏は、山本氏と美恵さんの人生を追う中で、山谷のケアシステムが、一見理想的ながら、非常に危ういバランスの上に成り立っていることを明らかにしました。また、山谷の人々の深い繋がりや、互いに支え合う姿を通して、地域ケアの重要性と課題を浮き彫りにしています。
さらに読む ⇒ポストセブン出典/画像元: https://www.news-postseven.com/archives/20220119_1720129.html?DETAIL末並氏が、山谷のケアシステムの不安定さを明らかにしたのは、興味深いですね。
地域ケアの重要性を感じると同時に、その持続可能性について考えさせられます。
『マイホーム山谷』は第28回小学館ノンフィクション大賞を受賞し、星野博美氏、白石和彌氏、辻村深月氏からも絶賛されています。
著者の末並俊司氏は、山本さんと連絡を取り合う中で、山谷には独自の地域ケアシステムが存在することを知ります。
ケアワーカーたちは連携し、医療や介護の不足部分を補完し、人々に寄り添っている。
しかし、この理想的なシステムは実は不安定なバランスの上に成り立っている。
末並氏は、山本さんと美恵さんの2人に直接会って話を聞くことで、山谷のケアシステムの複雑さを浮き彫りにしました。
さらに、自身の両親の介護経験から、介護や福祉分野に興味を持ち、執筆を続けてきた末並氏にとって、この作品は10年以上の歳月と数々の出会いを経て完成したものです。
受賞は山谷で活動する人々への称賛だと考えています。
なるほどねぇ。理想だけじゃダメってことよね。現実はそんなに甘くないってことよ。でも、そういう人たちの支え合いって、本当に大事だよね。
山谷の現状と福祉の課題
「日雇い労働者の街」から「福祉の街」へ、変化する山谷の課題とは?
「よそ者たちの善意」への依存
この章では、山谷の現状と、そこにある福祉の課題について掘り下げていきます。
公開日:2022/05/24

✅ 本書は、東京都山谷地区にある民間ホスピス「きぼうのいえ」の創設者である山本雅基さんとその妻・美恵さんの物語を描いたノンフィクション作品です。
✅ 山本夫妻は、山谷で困窮する人々を積極的に受け入れ、最期まで寄り添うケアを提供していましたが、美恵さんは「きぼうのいえ」から姿を消し、山本さんは理事長を解任され、現在は生活保護を受給しながら山谷で暮らしています。
✅ 著者は、山本さんの人生を通して、山谷のケアシステムの危うさや、山本夫妻が抱えていた理想と現実のギャップ、そして美恵さんの失踪の謎に迫ります。
さらに読む ⇒小学館出典/画像元: https://www.shogakukan.co.jp/news/475354山谷の福祉は、ボランティアの善意で支えられているという点は、非常に重要ですね。
改善点や課題は、たくさんありそうです。
かつて「日雇い労働者の街」として知られた東京・山谷は、簡易宿所(ドヤ)に住む元労働者や路上生活者の高齢化に伴い、「福祉の街」へと変化しています。
しかし、山谷の福祉は「よそ者たちの善意」で支えられており、その現状には課題も存在します。
高度成長期には日雇い労働者が集まり賑わっていた山谷ですが、高度成長期の終焉とともに仕事は減り、労働者の多くはドヤや路上で生活するようになりました。
高齢化が進み、路上での生活は危険と隣り合わせとなり、健康を害したり路上で亡くなるケースも増えました。
そんな状況の中、山谷にはボランティアで炊き出しなどを行う労働組合や福祉系のNPO法人が集まり始め、独自にケアシステムを構築しました。
山本雅基さんが妻の美恵さんと立ち上げた「きぼうのいえ」をはじめ、山友会、友愛会、訪問看護ステーションコスモス、ふるさとの会といった5つのNPO法人が協力し合い、山谷の福祉を支えています。
しかし、本書『マイホーム山谷』では、山本さんが「きぼうのいえ」の理事長を解任され、福祉の「受け手」となってしまった現状が描かれ、山谷の福祉の課題が浮き彫りになっています。
山谷って、そんな街なんだ。日雇い労働者の街ってイメージしかなかったけど、福祉の街っていう側面もあるのか。課題がたくさんあるみたいだけど、何かできることはないのか考えてみよう。
美恵さんのその後と「きぼうのいえ」の現実
「きぼうのいえ」創設者の山本さんは、どんな困難に直面したのでしょうか?
ホームレスからの不信感
この章では、美恵さんのその後と、「きぼうのいえ」の現実について紐解きます。
公開日:2022/06/08

✅ 山谷で「ホスピス」施設「きぼうのいえ」を創設した山本雅基さんは、理想のケアを実現できず、現在は自ら支援を受ける側に。
✅ 介護ライターの末並俊司さんは、山本さんの半生を追う中で、期待とは異なる施設の現実や山本さんの葛藤、失踪した妻との関係などを目の当たりにした。
✅ 末並さんは山本さんの経験を通して、支援の現場における課題や理想と現実のギャップ、支援者自身の心のケアの必要性などを浮き彫りにした。
さらに読む ⇒朝日新聞デジタル:朝日新聞社のニュースサイト出典/画像元: https://www.asahi.com/articles/ASQ66641YQ5YULZU005.html理想と現実のギャップは、やはり大きかったのですね。
支援する側の心のケアも、とても大切だと思いました。
山本雅基さんと二人三脚で東京山谷地区の民間ホスピス施設「きぼうのいえ」を創設した美恵さんは、現在は地方の山間部で高齢者施設の看護師をしています。
2002年に「きぼうのいえ」を立ち上げて8年後、年下の男性スタッフと駆け落ちし、一時は沖縄で暮らしていました。
その後、再び東京に戻り、現在は地方で看護師として勤務しています。
山本さんは、「きぼうのいえ」を創設した当初、ホームレスの人々から「おまえたちは金儲けのために俺たちのこと、利用してるんだろう」という言葉を投げかけられた経験を持つと語っています。
2002年にスタートした「きぼうのいえ」は鉄筋コンクリートの4階建て、全21室の施設で、山本さんと妻の美恵さんは、ホームレスの人々を受け入れ、最期まで寄り添うケアを提供しています。
しかし、彼らの活動は、常に厳しい現実と向き合わなければならない。
美恵さん、今は看護師さんなんだ。いろんなことがあったんだねぇ。理想と現実、どっちも大事だけど、バランス取るのが難しいんだなぁ。
今回の記事を通して、山谷のホスピスケアの現状と、そこに潜む複雑な問題について理解を深めることができました。
社会の福祉の問題は、本当に考えさせられますね。
💡 山谷のホスピスケアの現状と、そこにある課題。
💡 山本夫妻の理想と現実、そして美恵さんの失踪。
💡 地域ケアシステムの重要性と、その持続可能性についての考察。