東浩紀とゲンロンの10年、文化活動の未来は?ネットと現実の狭間で!!?
💡 東浩紀氏による「ゲンロン」は、10年間でどのように変化してきたのか?
💡 「ゲンロン」は文化活動をどのように活性化させてきたのか?
💡 「ゲンロン」の今後の展望は?
それでは、第一章から詳しく見ていきましょう。
責任概念をめぐる対話
責任概念をめぐる議論は、とても興味深いですね。
✅ 東浩紀の論文「悪の愚かさについて2」における國分功一郎への批判は、中動態の議論が加害と結びついたときの検討不足にあるという点。
✅ 國分は「帰責性」と「責任」の区別を導入することで、中動態的な状況における責任のあり方を再定義し、加害者ケアの現場における実践例として「罪悪感を感じること」の困難さに焦点を当てる。
✅ 東浩紀は國分の議論を日本の戦争責任の問題へと発展させ、加藤典洋の「敗戦後論」を参照することで、中動態の観点から歴史認識を見直すことの必要性を主張する。
さらに読む ⇒ webゲンロン出典/画像元: https://webgenron.com/articles/article20201107_01責任の在り方について、それぞれの立場からの考え方がよくわかりました。
東浩紀と國分功一郎による対談イベントでは、東が『ゲンロン11』巻頭論文で國分の『中動態の世界』における議論を批判したことに端を発し、責任概念をめぐる議論が展開された。特に、東は中動態が「加害」と結びついた場合の問題点を指摘し、國分は責任概念を「帰責性」と「責任」という二つの要素に分けて考察した。國分は、加害者ケアの現場や自身の経験を通して、責任とは加害者自身の「境遇」や「被害者」という視点を取り入れることで生まれてくるものだと説明した。東は國分の議論を日本の戦争責任の問題へと展開し、加藤典洋の議論を援用して、自国の死者を追悼したうえで戦争責任に向き合うことの重要性を強調した。この対談を通して、國分と東の議論が意外にも近いものがあり、生産的な対話が行われたことが示された。
なるほど、責任って難しい問題だな。 でも、ちゃんと向き合っていくことが大事だと思うよ。
ゲンロンの10年 ネットと現実の狭間で
ゲンロンの10年は、ネット社会の変化を象徴しているように感じます。
✅ 東浩紀氏の著書「ゲンロン戦記」の刊行を記念して、様々なイベントが開催された。
✅ イベントでは、「ゲンロン戦記」の内容や東浩紀氏の思想、日本の知性について議論された。
✅ イベントには、哲学者の東浩紀氏、歴史学者の與那覇潤氏、社会学者の宮台真司氏、ラッパーのダースレイダー氏など、多様な分野の著名人が参加した。
さらに読む ⇒中央公論新社出典/画像元: https://www.chuko.co.jp/special/genron/SNSの功罪について、改めて考えさせられました。
哲学者・批評家・作家である東浩紀氏は、インターネットの力を信じて「ゲンロン」を創業したが、起業後、ネットの力は信じられなくなり、その狭間で苦闘してきた10年間を赤裸々に綴った奮闘記『ゲンロン戦記』を出版した。東氏は、SNSが普及したことで、世の中と違うリズムで生きていける人が減ったと指摘。SNSは、常に話題性のある情報を求め、瞬発的な炎上を促すことで、人々の思考を浅くし、言葉や人を摩耗させていると警鐘を鳴らす。一方、ゲンロンは、ゆっくりと時間をかけて本やイベントを制作することで、世の中とは異なる時間の動きをしている。東氏は、思考には時間がかかるため、SNSで情報収集するだけでなく、自分自身で考える時間を大切にすることの重要性を訴えている。
ネットの世界って、変化が激しいから、ついていくのが大変だな。 でも、ゲンロンみたいな考え方もあるってのは、勉強になったよ。
ゲンロンの10年 文化活動の新たなモデル
ゲンロンは、文化活動の新たなモデルを提示していると感じます。
公開日:2022/04/29
✅ 本記事は、ゲンロン創業者である東浩紀さんと現代表である上田洋子さんのインタビューを通して、ゲンロンの10年間の活動を振り返りつつ、今後の役割を探る内容です。
✅ 特に、東浩紀さんの言論活動における「暴言を吐いても許される聴衆を獲得することの重要性」が強調されています。それは、従来の「誰にでも受け入れられる言葉」では深みのある議論はできないという問題意識から生まれた考え方です。
✅ また、東さんは、SNSにおいては「フィルターバブル」に陥ることの危険性を指摘し、変化を許容してくれる聴衆を育てることの重要性を訴えています。これは、言論人だけでなく、あらゆる分野において、自身の成長と変化を許容してくれる関係性を築くことの重要性を示唆しています。
さらに読む ⇒ミライのアイデア出典/画像元: https://www.mirai-idea.jp/post/genron02人文系の文化活動の活性化は、社会にとって重要な課題ですね。
株式会社ゲンロンは2020年4月に10周年を迎え、創業者の東浩紀さんと現代表の上田洋子さんが、ゲンロンの10年間を振り返った。東さんは、当初は個人プロジェクトだったゲンロンが、友の会会員3000人を抱えるプラットフォームへと成長したと評価しつつ、社会への影響力はまだまだだと述べ、今後の発展に意欲を示した。上田さんは、出版だけでなくゲンロンカフェ、トークショー、放送、スクールなど多角的な事業を展開することで、人文系文化活動の新しいモデルを提示していると説明した。出版不況の中、人文系書籍は売れにくい状況だが、ゲンロンは、人文書の裾野を広げ、文化的な活動を活性化させるための取り組みを継続していくことを目指している。
ゲンロンみたいな文化活動は、未来のビジネスモデルとして注目されると思うな。
暴言と聴衆 言論空間における新たな課題
暴言と聴衆の関係は、なかなか難しい問題ですね。
✅ 「ゲンロン」は思想家・東浩紀が創刊した思想誌であり、第10号の刊行をもって第2期がスタート。
✅ 第2期では、発行人が東浩紀からロシア文学者の上田洋子に交代し、東浩紀は巻頭言を廃止し、毎号自身の思考を表現する長文を寄稿することを約束。
✅ 第2期「ゲンロン」は、批評活動の再生を目標とし、東浩紀は自身の思考をより深く掘り下げ、実践的な活動へとシフトしていくことを示唆している。
さらに読む ⇒KAI-YOU Premium出典/画像元: https://premium.kai-you.net/article/132言論空間における新たな課題を浮き彫りにする内容でした。
ゲンロンは、東浩紀というブランドによる、ニコ生での独特なトークスキルと暴言を許容する聴衆を獲得したことが、日本の言論界における存在感を確立した要因の一つである。東浩紀は、「暴言を吐いても許される聴衆」を持つことの重要性を強調し、それは言論人や文化人、政治家など、あらゆる活動において重要な要素だと主張する。彼は、暴言を許容する聴衆は、発言者の背景を理解し、異なる文脈における批判を避ける役割を果たすと説明する。また、若い世代が暴言を吐くことを恐れる一方で、年配者は過去の功績や権威によって許される状況は不公平であり、若い世代も独自の聴衆を育成する必要があると訴える。さらに、フィルターバブルによる閉鎖的な空間は長期的には疲弊をもたらし、変化を受け入れられない状況は本人にとってつまらない人生になる可能性を指摘する。東浩紀は、言論人は年齢を重ねても、暴言を許容する聴衆を獲得することで、幅広い議論や表現を可能にすることができると主張し、SNSを利用することで、過去の言動を切り取って批判されるリスクや、政治的な発言が炎上する可能性があることを懸念している。
暴言とか、難しい問題だけど、ちゃんと議論していかないといけないよ。 ゲンロンみたいな場所で、自由に議論できるのはいいことだと思う。
オルタナティブへの探求 ゲンロン誕生の物語
ゲンロン誕生の物語は、オルタナティブへの探求そのものですね。
✅ 「脱原発社会をめざす文学者の会」は、原発問題に対し、文学を通して社会に訴えかけることを目的とする団体であり、専門家を招いての勉強会や会報・ホームページでの情報発信、福島訪問、文学作品創作などを行ってきた。
✅ 近年、同会は会員が執筆した作品の中から優れた作品を選出する「脱原発社会をめざす文学者の会」文学大賞を設立し、会員の作品を広く世に知らしめる活動を行っている。
✅ 著者は、東浩紀の「ゲンロン戦記」を読み、自身の文学活動における「脱原発社会をめざす文学者の会」の活動意義を再認識した。特に、東浩紀が「ゲンロン」というオルタナティブな文化空間を創出し、質の高い「観客」を育成しようとしている点に共感し、自身の活動も同様の理念に基づいていると結論づけた。
さらに読む ⇒WEB第三文明 トップ出典/画像元: https://www.d3b.jp/npcolumn/11971東浩紀氏の思想は、社会への影響力を感じます。
東浩紀氏は、1998年に哲学書でサントリー学芸賞を受賞後も、サブカルチャー批評を続け、SFコミュニティとの出会いをきっかけに「オルタナティブ」という価値観の重要性を実感した。当時の文壇や論壇は、エンタメやアマチュアの世界を軽視しており、真のオルタナティブはそこには存在しないと痛感した。SF大会での経験は、東氏が後に立ち上げる知のプラットフォーム「ゲンロン」の基礎を築く重要な出来事となった。東氏は、ネットとオルタナティブという二つの出会いを経て、若い世代のオルタナティブな運動を支援し、社会を変えるという夢を抱き、ゲンロンを創設した。
ゲンロンは、オルタナティブな文化空間として、これからも注目すべきだろうな。
本日は、東浩紀氏と「ゲンロン」について、様々な角度からご紹介しました。
💡 「ゲンロン」は、ネット文化と現実社会の狭間で、独自の文化活動を展開してきた。
💡 「ゲンロン」は、言論活動における「暴言を許容する聴衆」の重要性を示唆している。
💡 「ゲンロン」は、人文系文化活動の活性化を目指し、新たなモデルを提示している。