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東日本大震災と津波の爪痕、そして復興への道(?)震災と津波、そして復興。三陸と気仙沼、カキ養殖への影響。

東日本大震災からの復興を遂げた気仙沼を、再び津波が襲う。甚大な被害を受けた漁港と、そこから立ち上がった人々の姿を描く。漁業の復興と持続可能なまちづくりを目指し、自然との共存を模索する姿は「グリーンリカバリー」の好例だ。しかし、2024年の津波は、カキ養殖業に再び大きな試練をもたらした。震災、そして津波。それでも、海と共に生きる気仙沼の未来とは。

東日本大震災と津波の爪痕、そして復興への道(?)震災と津波、そして復興。三陸と気仙沼、カキ養殖への影響。

📘 この記事で分かる事!

💡 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた三陸地方の漁業が、関係者の尽力によって復興を遂げた軌跡を紹介します。

💡 気仙沼市が津波被害から立ち上がり、「海と共に生きる」というスローガンのもとで進めた復興計画を解説します。

💡 2024年のカムチャツカ半島沖地震による津波が、復興途中の気仙沼に与えた影響と、養殖業者が直面する課題を伝えます。

本日は、東日本大震災からの復興と、最近の津波被害に焦点を当て、三陸地方と気仙沼の漁業復興について掘り下げていきます。

東日本大震災と三陸の漁業復興への道

東日本大震災、漁港への被害で最も大きかったものは?

倒壊、傾斜、地盤沈下による水没。

東日本大震災は三陸地方の漁業に甚大な被害をもたらしましたが、関係者の努力により、漁港の復旧と漁業活動の再開が進みました。

震災からの復興には、多くの課題を乗り越える必要がありました。

津波で壊滅的被害を受けた岩手108港 見事によみがえったその姿
津波で壊滅的被害を受けた岩手108港 見事によみがえったその姿

✅ 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県の漁港は、関係者の尽力により10年をかけて震災前のレベルまで復旧した。

✅ 水産業は裾野が広く、漁業活動の復旧には市場、加工、流通など様々な要素の同時復興が必要であり、復旧には時間がかかった。

✅ 一部で漁港の集約論もあったが、地域ごとの漁業の実態を重視し、すべての漁港を復旧させるという方針が貫かれた。

さらに読む ⇒NEWSポストセブン出典/画像元: https://www.news-postseven.com/archives/20210312_1642662.html?DETAIL

漁業復興の道のりは、想像以上に困難だったと感じました。

漁港の集約ではなく、地域ごとの漁業の実態を重視したことが、復興を加速させた要因の一つかもしれませんね。

2011年の東日本大震災は、北海道から沖縄県まで広範囲に影響を及ぼし、特に三陸地域では甚大な被害をもたらしました

総額1兆2637億円に及ぶ被害のうち、漁港施設の被害が最も大きく、倒壊、傾斜、地盤沈下による水没などが報告されました。

応急復旧では、71万トンもの瓦礫が除去され、漁港復旧と漁場回復のために2153億円の予算が計上されました。

水産復興マスタープランに基づいて、高台移転、防潮堤整備、漁港再編が進められましたが、漁業者の高齢化や担い手不足、漁港の耐震性強化といった課題も浮き彫りになりました。

これらの課題に対応するため、人材育成、漁業の効率化、防災機能の強化などが検討されています。

なるほど、震災からの復興は本当に大変だったんですね。漁港の復旧に加えて、漁業者の高齢化や担い手不足といった問題もあったとは。それでも、地域の実情に合わせた復興が進められたのは素晴らしいですね。

気仙沼市の復興物語:海と共に生きる

震災後の気仙沼、復興の軸は?

「海と生きる」持続可能なまちづくり

気仙沼市は津波対策として防潮堤建設を進めるにあたり、市民との合意形成に多くの時間を費やしました。

様々な意見が出ましたが、最終的には「海と共に生きる」という復興計画を掲げました。

東日本大震災から10年 海と生きる道を選んだ気仙沼の復興(前編): 巨大防潮堤と戦ったまち

公開日:2021/03/08

東日本大震災から10年 海と生きる道を選んだ気仙沼の復興(前編): 巨大防潮堤と戦ったまち

✅ 気仙沼市は、津波対策としての防潮堤計画に7年もの時間をかけ、市民との合意形成を重視した。その結果、計画中止や、意見対立による高校生の涙といった事例も生まれた。

✅ 防潮堤の高さや災害危険区域の設定、高台移転など、詳細な計画決定が遅れた背景には、国との防災レベルの認識の違いや、市民の多様な意見があった。

✅ 小泉海岸での防潮堤建設を巡っては、自然保護を求める若者と早期復興を目指す大人たちの間で対立が生じ、最終的に総事業費が倍増したが、防潮堤はほぼ完成し、市民は前向きに進んでいる。

さらに読む ⇒nippon.com出典/画像元: https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00684/

防潮堤建設に関する市民との議論は、本当に難しい問題だったと思います。

しかし、最終的に「海と共に生きる」という視点に立ち返り、漁業文化を重視する姿勢は素晴らしいですね。

震災前、気仙沼市は「食」を軸としたまちづくりで誇りを取り戻していましたが、震災後、甚大な被害を受けながらも「海と生きる」という復興計画を掲げ、海の重要性を再認識しました

過去の津波被害を乗り越えてきた歴史を踏まえ、自然への畏敬と共存を表しています。

防潮堤建設では、住民との議論を重ね、海との繋がりを重視したフラップゲート式を採用。

さらに、「日本一漁師に感謝するまち」をスローガンに、漁業文化を重視し、漁師の精神性を町の誇りとして、教育や施設整備を通じて漁業への理解を深めました。

遠洋、近海、沿岸、養殖と多様な漁業が盛んな気仙沼では、漁師のグローバルな視点、独立心、自然への畏怖が、町の文化を形成しています。

これらの取り組みは、震災からの復興と持続可能なまちづくりに繋がっています。

防潮堤建設で住民と長い時間かけて議論したって言うけど、大変だったろうねぇ。でも、「日本一漁師に感謝するまち」ってスローガンはいいよね!漁師さん達を大事にするって言うのは、地域を盛り上げる上で大事だもんね!

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震災復興の象徴、気仙沼。津波の試練を乗り越え、持続可能な漁業を目指す石村准教授の研究と、新たな被害からの復興への挑戦を追う。